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トピックス 05/10/01
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30周年を迎えて
日本医薬品原薬工業会30年の歩み

 日本医薬品原薬工業会(以後、「原薬工業会」という)が発足してから、今年で30年目を迎える。原薬工業会は、1975年(昭和50年8月29日)、設立発起会社7社により22社の会員会社でスタートした。設立趣旨は薬効再評価、GMP法制化に関する問題など、会員会社共通課題の検討に加え、第一次オイルショック後の急激な為替レートの変動により円高ドル安に見舞われ、当時、経営基盤に支障を来たした企業も多く、会員会社の経営危機救済の目的も含めて設立された。
 設立直後の緊急課題として原薬工業会が行ったことは、雇用調整給付金支給対象業種の指定を受けることであった。
 当時、労働省より景気変動業種に認定され、生産調整(従業員の一時帰休及び教育訓練等)を実施した企業には、雇用調整給付金が支給される措置が採られていたため、事務局が中心となり、厚生省経済課、労働省職業安定局等へ足繁く通い、雇用調整給付金支給対象業種指定を受けるべく、業種実態調査を実施すると共に、調査結果の集計資料の作成、申請書の作成、提出、ヒヤリング等を経た結果、雇用調整給付金支給対象業種の指定を受けることが可能となった。

 原薬工業会発足から10年を経た1985年の時点で、会員会社は40社であったが、それからの7年の間に加盟会社は増え続け、会員数は倍増の80社に達した。今から13年前、1992年のことである。
 因みに現在の会員数は、108社となっている。
 会員会社の増加の背景には、当時進められていた薬事行政の動向が深く関わっていたと考えられる。即ち、行政当局が医薬品の品質、有効性及び安全性を確保するために必要とされる、製造段階における品質の確保のための要件としてまとめたGMP(Good Manufacturing Practice)に基づく規制を医薬品企業に導入する方針を打ち出し、医薬品GMP指導基準を1974年公示、1976年施行され、その後、製剤GMPは、厚生省省令として1979年公示、1980年から施行されることとなり、薬業界にとっては新しい潮流が押し寄せていた。
 そのような状況の中で、原薬工業会は、近い将来、原薬にもGMPが施行されることを予測し、製剤と異なった原薬特有の製造管理と品質管理の考え方を織り込んだ原薬工業会独自のGMPを作成する必要があると考え、1982年、7名のメンバーによりGMP委員会を発足させた。1983年、当局にGMPに関する要望書を提出。1984年、GMP委員会は名称をGMP技術委員会に改称すると共に、GMP技術委員会は、原薬GMP原案作成のため、委員4名を選任し、検討に入った。
 同年11月、原案の完成を待って、会員各社に送付し、各社からの意見聴取を行った。原薬工業会は、GMP技術委員会を主体として策定した、原薬GMP自主基準案を1987年(昭和62年)厚生省に提出した。
 その後、自主基準案に対し厚生省より、日薬連と協議し、双方合意の上で作成した原薬GMP基準案を再提出するよう求められた。
 以後、原薬GMP基準案をたたき台として日薬連との度重なる合同会議を行い、最終案を提出したが、更に最終案について、厚生省、日薬連、原薬工による合同会議が重ねられ、原薬GMP自主基準案として提出されたものは、当初の自主基準による原薬GMPの実施という原薬工の思惑とは異なり、1988年7月15日局長通知として原薬GMP基準が公示され、1990年1月1日施行されることになった。
 1985年以降1992年の7年間に原薬工会員企業が倍増した背景には、以上のような動向を注視していた各企業が、その動きに敏感に対応した結果ではないかと考える。
 1990年、原薬GMP基準が公示されることになり、GMP技術委員会はその役割を終え、名称をGMP委員会に改称し、委員と共に引き継がれた。
 1991年、GMP委員会に加え、新たに総務委員会、法規委員会、経済委員会を発足させ、原薬工業会は、4委員会による新たな活動が始まった。

 新たに創設された3委員会のそれぞれの役割として、総務委員会は、当時懸案であった当工業会の法人化の推進を目的にしたものであり、法規委員会は、原薬製造に係る関連法規(消防、労働安全衛生、環境規制等)の調査研究、原薬の薬事法上の位置付け、並びに承認・許可関係についての問題点の調査究明を課題とし、経済委員会は、会員各社の経営に関わる問題として原薬業界の業況調査を行なうと共に各社の労働時間実態調査、原薬に係る輸出入の問題点、特に関税・輸出入手続き等について問題点の調査究明を行なうことであった。

 一方、原薬GMP基準が施行された2年後の1992年、厚生省はGMP改正に向けて動き出し、業界代表を交えたGMP改正ワーキンググループを発足させた。原薬工業会にも当局からワーキンググループ参加委員を推薦するよう要請があり、原薬工推薦の委員も日薬連推薦委員と共に選任され、日薬連、原薬工によりGMP改正ワーキンググループが組織された。GMP改正の要旨は、既に省令化されていた医薬品GMPの改正と共に局長通知として施行されて間もない原薬GMPを改正し、WHO・GMP基準に則り、製剤、原薬併せた「日本の医薬品GMP」として、国際的ハーモナイゼーションを図るということであった。
 その背景には、WHO・GMP基準改訂の動きと共に、ドイツ、スウェーデン、スイス等との医薬品GMP二国間協定締結に続き、日米二国間協定締結に向けて原薬GMP日米合同査察のための協議も行われ、同時にEFTA(European Free Trade Association)加盟国を中心とする約15カ国で構成されているPIC(Pharmaceutical Inspection Convention)への加盟についても検討中という状況にあり、GMPに関する国際的な動きが当時に進行していたということが影響を及ぼしていたといえる。
 厚生省担当官を交えたGMP改正ワーキンググループは、2年強に亘り検討を続け、1994年4月省令として医薬品GMPが施行され、1990年1月に施行された「原薬GMP」は4年3ヶ月をもってその役目を終え、「医薬品GMP」にバトンタッチされた。この結果、改正「医薬品GMP」は、原薬も含めた医薬品製造所の許可及び更新並びに品目許可の要件となり、医薬品GMPは、許可基準という側面を備えて制定されたのである。
 原薬工GMP委員会は、同年、引き続き行われたバリデーション基準作成に加わり、1995年からは日薬連のGMP解説及び事例集作成にも参加し、4年間に亘り検討を重ね、その成果物としての1999年版GMP解説及び事例集が出版された。
 原薬工は、日薬連への参加と平行して1998年から製薬協からの呼掛けに応じ、日米EU三極によるICHQ7a(原薬GMPガイドライン)の検討を始めると共に、国際会議に専門委員を派遣、パリ会議を始めとして開催されたICH国際会議には全て参加した。
 同時にEWG(エキスパートワーキンググループ)サポートグループにも委員を送りこみ、3年間に亘り製薬協と共に活動を行い、2001年11月2日 医薬発第1200号「原薬GMPガイドライン」発出に至るまで、当局に対し製薬協と共に協力を行ってきた。
 2001年から2002年にかけて、原薬工として日薬連のGMP事例集各条見直し検討会に参加し、GMP事例集2003年版作成に協力すると共に4年間に亘り厚生科学研究班に参加し、ICHQ7aに係る研究及び原薬の構造設備指針並びに不純物プロファイルに関する研究及び資料作成に携わってきた。
 2001年より薬事制度改正に関わる当局との話し合いが続けられていたが、2002年初頭には、厚生労働省より「薬事制度見直し(案)の概要について」等、参考資料が提示され、具体的に薬事制度の見直しに関する動きが活発になり、日薬連は、同年6月薬事法改正プロジェクトを立ち上げた。
 日薬連GMP委員会は、薬事法改正プロジェクト第3ワーキングG及び三つの実務担当グループでGMP、GQP、構造設備それぞれに関わる検討を始めたが、原薬工からも委員を派遣、2002年から2003年まで改正薬事法に基づくGQP、GMP、構造設備規則の原案作成のための協力を行なった。
 2004年、製薬協と共同で、GQPに基づく製造販売業者と製造業者との取り決めに関する契約書見本作成のための作業を行い、取り決め見本を作成し、業界内に配布。
 2005年度、政省令の施行により、GMP改正に伴うGMP事例集改訂作業を日薬連GMP委員会が着手、日薬連からの呼びかけに応じ、原薬工からも参加、改訂作業に加わり、完成したGMP事例集(案)は、当局の監修を待って年内の発刊が予定されている。
 概略であるが、以上のような経緯を経て30年が経過し、現在に至っている。

 




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